2005年10月26日

信じる、ということ


 注意

 宗教に対する個人的な意見です。
 特定の信仰に与するものではありませんが、
 人によっては気分を害するおそれのある事をご留意願います。


いえ、別にいつもの和泉ですし、
エロならともかく(←謎
思想的に過激な文章が書けるはずもないけれど、念のため。



会社で仲良くしている一つ上の女性に
ご飯に誘われて行ってきたのですが。

彼女は某新興宗教団体の会員でした。


私は特定の信仰を持っていないし、
かと言って無神論者でもない。
何らかの宗教を否定する訳でもありません。

当然、行き過ぎたカルト教団の類いには同意できませんが、
社会から大きく逸脱することなく個人の信じるものを守り、
それによって自他共に安寧を得られるのであれば、
どのような教えに従おうともその人の自由だと考えます。


ただ、今日改めて思ったのは、
やはり終末思想は好きにはなれない、ということ。

 X年後に今の世は終わりを告げて、全ての人間は地獄へ堕ちる。
 それから逃れる術は、○○を信じることのみ。

幸運を奇跡や信心の厚さに準えても構わない。
他宗教を貶めるのも自己正当のためには一つの手段。
けれど、
誰もが潜在的に持つ不安感を悪戯に煽って、
隙あらばそこに付け入ろうと窺う方法には納得しかねるのです。


現状に満足していない人、
重大な労苦を背負う人、
何かに縋り付きたいと願う人。
心の慰めとして信仰は必然的な意味を持っています。

宗教は精神的薄弱を補う逃げ道だ、という意味ではありません。

寒冬に陽光を有難く思い、
乾夏の雨に感謝する。
超人的な力に畏敬の念を抱く感情は誰にでもあるはず。
対象が不特定多数なのか、唯一絶対なのか、
即物なのか、観念なのか、
その違いがあるだけ。


 和泉さんも一緒にやろうよ
 私も最初は全然信じてなかったんだけど
 今は本当に救われて自分が幸福になっていくのを実感するの

本人は、素晴らしいものを勧めているのに
受け入れられないことへの理解に苦しむのでしょう。
このままでは地獄に堕ちる運命にある哀れな友人に
救済の手を差し伸べてあげたい。
彼女なりの純粋な思い遣りからでの行動にあるのは
間違いないのですから。


宗教の対立に調停の訪れは稀で、
悲惨な結果ばかり続くのは今に始まった事じゃない。
有史以前から連綿と受け継がれ、未来永劫終わらない。
人類総単一信仰はあり得ないし、全人類無宗教化も然り。
人間が人間である限り、
各々の信仰心は各個人の内に絶えず存在するはず。


信じるものは救われる。

確かにそうかもしれない。
和泉は、
自分を、人を、世界を、自然を信じています。

ご先祖様とお天道様に顔向けできないような事はしない。
私にはそれだけで充分ですよ。
posted by 和泉 at 00:40| Comment(4) | TrackBack(0) | 日々の事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
安易に出来る方法によって得る幸福感は、
得てしてその人の本来の能力を閉ざす傾向がある気がする。

「こうすれば幸福になれる」
という手段がハッキリしてしまったら、
俺は逆に生きる意味を失ってしまう。
幸福探しというゲームが、そんな簡単な手段でエンディングを迎えてしまうなら、
俺はゲーマーとして、そのゲームに「クソゲー」の称号を与えるね。

良いと思って勧めるのは悪くない。
けれども、相手の生き方を尊重できないなら、
その程度のやり方なんだろう。
誰かを救おうと思ったら、まずその人のあり方を許すことから。

結局は、幸せかどうかなんて本人が自分で決めることだから。

信じることを知り、生きる事が楽であれば、
自然と寛容になっていけると俺は思う。
そしてそれは魅力に繋がり、自然と人が寄って来るようになる。
広めたいなら、生き様で見せればいい。
Posted by しし at 2005年10月26日 12:36
 ししくん

苦悩の原因を何かに委ねてしまえるのならば
確かにそれは楽なのかもしれない。
単純な意味付けによって自分は軽くなれるだろうから。

幸福を掴むための努力を一つの行為に集約するのも、
願いが叶えば証拠とし
叶わなくば祈りの不足と説明できる。

でもそれは言わば一種の責任転嫁のようなもので。

試行錯誤で七転八倒して、
様々な自分のやり方で様々な形の結果を得る。
他人からは不幸以外の何物にも見えなくても、
その人にとっては満足行くものかもしれないし。
逆についてもそう。

そしてそれこそが
人生の意味、人生の輝きなんじゃないかと思う。
視野を狭めて世界を閉ざしてしまうのは
余りにももったいないよね、この世の中。
Posted by 和泉 at 2005年10月27日 20:46
終末思想か・・新興宗教って殆どがそうなんじゃないだろかと。
老人が信じる宗教と、若者が信じる宗教に違いもあるし
「自分がメシア(救世主)」みたいなものは
若者ウケたり。
間違ったものを信じれば自分も間違うっていうのって
宗教の原点だと思うのですが。
勧めるのも自由だし、信じるのも自由。
和泉たんが「終末思想」が嫌いなように、
わたしは「修行による宗教的なんちゃら」っていうのが嫌い。
今、幸せになりたいのに「死んだら極楽行けないから」とか言うものが。
体を痛めつけて修行して、極楽浄土を望むその教えが。
幸せそうには見えないので。
「宗教への責任転嫁」は、自分に自信が無い事への現われでもあると思う。
祈ってるなら責任持って祈れよとか思う。
・・わたしの思惑はどうでもいいけども、
ししさんの、「広めたいなら、生き様で見せればいい。」にわたしも賛同。
「声仏事を成す」と言うし、
それこそ何言われたって、「信じてるものがあります」と
胸張って言える人間のあるべき姿じゃなかろうか。
宗教って本来、自分を成長させていく為の、視野を広げたり
心を勉強させていく為のものだとわたしは思うの。
人間、完全な人間なんてひとりとして居ないんだから。

つって、うちも宗教あるでよー(笑

Posted by 螢(けい) at 2005年11月01日 15:03
 螢たん

ひー。放置しすぎでゴメンナサイ。
かわりに縛っていいから(←何

>宗教って本来、自分を成長させていく為の、視野を広げたり
>心を勉強させていく為のものだとわたしは思うの。

人を堕落させたり、金儲けの道具にしたり、
そんなのは最早宗教とは呼べないよね。
単なる催眠とかマインドコントロールの悪用。
端的には精神世界だからこそ、
人の心の持ちようで如何様にも形を変えてしまう。
自分も周りも幸せにする力を得たり、逆もあったり。

宗教って、人類の特徴の一つだよね。
他の動物は「何かを崇める」なんてしないもの。
折角の素晴らしい文化なんだから
皆がもっと賢く育てられれば良いのにと思います。
…まぁ、それを言ったら戦争も人類の特徴なんだけどorz

Posted by 和泉 at 2005年11月07日 22:11
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